
「AI 時代は偏愛を突き詰めるべし」って何?
なんかそれっぽいことを、それっぽく言ってるだけなんじゃないの?と思いつつ、どういうことなのかを、考えてみた。
できた。でも、なんかつまらん
AIを使って3Dモデリングをしていた時、こんなことをメモしていた。
「つまらんわ。もっと自分のこだわり入れたい。」
Power Appsでのアプリ開発でも、開発の過程を楽しめなくなったと感じることがあった。
ものはできている。便利になっている。でも、なんか違う。
自分が作りたかったものの中には、完成品を手に入れることに加えて、作る過程を楽しむことも含まれていたのだと思う。そこまでAIに任せれば、完成までの時間は短くなる。ただ、その時間に自分が楽しんでいたことも、一緒になくなる。
完成品を早く手に入れたいのか。自分で考えたり、作ったりする時間を楽しみたいのか。
同じ「何かを作る」でも、その時々で求めているものは違うのかもしれない。
そこそこ良いものを作れるようになった、その先
AIによって、いろんな人がいろんなものを作れるようになった。私自身も、その恩恵を受けている。これは良いことだと思う。
ただ、ある程度きれいに整ったものを見る機会が増えるにつれて、それだけではあまり心が動かなくなってきた。中には見た目はきれいなのに、何を伝えたいのか、どういう意図で作ったのかが見えてこないものもある。
その人が何を面白がっていて、どこにこだわっているのか。どうしてそこまでやったんだろう、と思うようなものに惹かれる。その人の人間性や、ものの見方が入り込んだものに価値を感じるようになった。
そう考えると、AIでいろんなことができるようになったことは、自分が何を作りたいのか、何に価値を感じるのかを考え直す、いいきっかけでもあると思う。
よく言われる「AI 時代には偏愛を突き詰めるべし」について考えてみた。

AI 生成でしかみたことないレイアウトや色使いには違和感を感じる・・
低UXアプリを30個作っていた
私は以前、低UX Power Apps選手権を勝手に始めて、30個のアプリを作った。
自分でクソダサい90年代風のぱわぽを作ってみたこともある。これも結構おもろくて、目を引いた。
低UXアプリは作っている過程がとてつもなく楽しくて、良い思い出になっている。そのネタでコミュニティでも登壇してみた。
その時のスライドはこちら。
DocswellノリでAI駆動開発してみた!|低UX選手権の登壇スライドさらに、他の人も参加できるように、スキルやレギュレーションまでGitHubに公開した。
GitHub低UX選手権|参加用スキルとレギュレーションそして、それら一連のプロセスが何より自分らしいと感じ、誇らしさすら感じた。
誰に言われたわけでもなく、自分が面白いと思ったことをやってみる。その中で「これこそ生きていることだな」と、生の実感すら感じたのである。
偏愛を突き詰めることと、アート思考
この感覚が、最近「アート思考」という言葉とつながった。
末永幸歩さんの『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』では、アート思考が次のように説明されている。
自分の内側にある興味をもとに、自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探究をし続けること
出典:末永幸歩『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)。出版社の本文公開記事より引用。
Amazon「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考何に引っかかるのか。何を面白いと思うのか。自分ならどうしてみたいのか。
そうした内側の興味や問題意識から、誰に言われるわけでもなく手を動かしてみる。私が改善やアプリ作りで楽しんでいることは、この言葉で表せる気がした。趣味欄には「アート思考」と書くことにした。
アプリを作ることも、自分にとっては自己表現の一つなのだと思う。
世界にどんな問題があると感じているのか。それをどうすれば解決できると考えているのか。作ったアプリには、自分が世界をどう見ているかが表れる。
以前、Qiitaにも「1年半で268個アプリを作った私の結論:Power Apps を作るとは『世界への挑戦』である」という記事を書いた。作って世に出すことは、自分なりの世界の見方や、こうすればよいという考えを示すことでもある。
Qiita1年半で268個アプリを作った私の結論:Power Apps を作るとは「世界への挑戦」である低UXアプリも、そこを自分なりに面白がって、突き詰めていたのだと思う。
偏愛を突き詰める方法はいろいろある。その一つが、こうしたアート思考なのだと、今は考えている。
このブログに「人間が読むモード」と「AIが読むモード」を作った時も、自分なりの答えを形にしてみたかった。収益があるわけでもないのに、面白そうだから機能を増やしている。
あわせて読みたいブログを丸ごとAI に投げやすくしてみた。ブログに人間用とAI用の表示を作りました。画面の使い方と、収益もないのになぜ作るのか。そして、要約してまで読む価値はあるのかという、作った本人の少しひねくれた話です。この記事を読む →
誰かに認められることと、自分が楽しいこと
偏愛の話をしていると、「他人と違うものを作れば、注目してもらえる」という方向にも進めそうだ。
実際、反響があるとうれしい。でも、そればかりを基準にしていたら、自分が面白いと思ったことから少しずつ離れてしまうかもしれない。
誰かと競うことや、認めてもらうことに加えて、自分はどうありたいのか。何を良いと感じるのか。何をしている時に、生き生きとしているのか。
そこも、自分の活動を選ぶ基準に持っておきたい。
「偏愛を突き詰めることも、AI時代を生き抜くために必要です」と言い始めたら、それもまた、やらなきゃいけないことになってしまう。私が低UXアプリを作っていた時の楽しさとは、少し違う気がする。
今は、料理の過程が楽しい
最近は、土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』に出会って、とても感銘を受けた。
Amazon一汁一菜でよいという提案出会った時には、こんなポストもしている。
今は料理をする、その過程を楽しめるようになっている。もっと突き詰めてみようかな、とも思っている。


アプリ作りと料理は、やっていることは違う。でも、自分の興味から始まって、その過程を楽しんでいるという点では、つながっている。
料理にはこうしなきゃいけない、趣味ならこうあるべきだ。そうした誰かの基準を、そのまま自分の基準にしなくてもいい。
知っている世界から、一歩だけ外へ
自炊の話でもう一冊、紹介したい本がある。佐々木典士さんと山口祐加さんの『自炊の壁 料理の「めんどい」を乗り越える100の方法』だ。
Amazon自炊の壁 料理の「めんどい」を乗り越える100の方法佐々木さんはミニマリストで、山口さんは自炊料理家。ミニマリズムは、私にとって馴染みのある領域だ。そこから自炊という、これからもっと知っていきたい世界へつながった。
まったく知らない世界へ、いきなり飛び込む必要もないのだと思う。自分がすでに好きなこと、知っていることを入口にして、一歩だけ知らない世界に足を踏み入れてみる。
そうやって関心が広がっていくことにも、根本には自分なりの世界の見方があるのかもしれない。ミニマリズムから自炊へ進んでいく、そのつながり方も含めて。
AIと一緒に、気になったことを無邪気に掘ってみる。その感覚は、以前「童心」という言葉でも書いていた。自分が何に夢中になるのかを入口にして、知らなかったことへ進んでいくのは楽しい。
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自分は何を楽しみたいのか。どこに手間をかけたいのか。そういうことを、自分で考えて選んでいきたい。
AIが便利になって、効率化できることはこれからも増えていくと思う。その便利さを使いながら、自分が楽しんでいる過程まで、いつの間にか手放していないかは気に留めておきたい。
今の私にとっては、気になったアプリを作ることや、料理をすることがそうなのだと思う。
自分の内側から湧いてきた興味に、時間を使う。自分らしいなと思えて、生きている実感がある。そういう時間を、これからも持っていたい。

最高の味噌汁と漬物を作りたいので、JA に旬の野菜を買いに行くことにしました笑

